最近、人との関係について考えていて「ああ、私にはこういう癖があったんだな」と気づいたことがあります。
それは。
誰かが不機嫌にならないよう、先回りして何とかしようとすること。
相手が不機嫌にならないように言葉を選ぶ。
機嫌が悪そうなら、こちらから声をかける。
空気が悪くなりそうなら、何とか和ませようとする。
相手が怒っている理由が自分にあるのかもしれないと思えば、自分の方を調整する。
それを「気遣い」だと思っていた部分もありました。
でも、どうやら少し違ったようです。
父親が不機嫌になると、何とかしようとしていた
振り返ってみると、子どもの頃からそういうところがありました。
父親が不機嫌になると、家の空気が悪くなる。
その空気が嫌だから、「どうしたら機嫌が直るかな」と考える。
そもそも機嫌が悪くなりそうなのを察知して、先回りして何とかしようとする。
父親が不機嫌になったとき、その空気を何とかすることが自分の役割だと思い込んでいたのかもしれません。
そんなふうに、身体が覚えてしまったのか、大人になっても、職場やパートナーなど周りの人が不機嫌になると、頭で考えるより先に、
「何とかしなきゃ」
が出てくる。
仕事でも恋愛でも同じことをしていた
同じ空間にいる人が不機嫌になると、不快感しかない。
だから、相手が不機嫌にならないようにする。嫌な思いをさせないようにする。
不満がありそうなら、こちらから確認する。
返事がなければ、また聞いてみる。
相手の反応が悪ければ「私の言い方が悪かったかな」と考える。
私はずっと無意識に
相手の感情を快適な状態に戻すことまで、自分の仕事にしていた
のだと思います。
でも、それって本当に必要だった?
相手の機嫌は、相手のもの
もちろん、自分の言動で相手を傷つけたのなら、謝ることは必要です。
言い過ぎたと思ったら謝ればいい。
誤解があるなら話せばいい。
必要なコミュニケーションから逃げる必要もありません。
でも、相手が不機嫌になったことそのものまで、私が何とかしなければいけないわけではない。
これは、私にとってかなり大きな気づきでした。
相手が怒っている。
相手が不満を感じている。
相手が落ち込んでいる。
相手が機嫌が悪い。
それは、その人の感情。
その人自身が扱っていくもの。
私は必要なことを伝えたら、あとは自分の時間を過ごしていい。
本を読んでもいい。
コーヒーを飲んでくつろいでもいい。
相手が不機嫌だからといって、私まで不機嫌になる必要はない。
相手が不機嫌であろうと、自分だけ気分よく過ごしていい。
それができなかったのは、相手の感情に引っ張られるから。
ヒューマンデザインの「感情センター」
ヒューマンデザインでは「オープンな感情センターは感情を増幅して受け取るんだよ」とあります。ものすごく納得でした。
その中で不思議だったのは、感情がオープンで不健康な場合は「対立を避ける」という文字。
ちょっと不機嫌になった人がいるだけでも、感情がオープンだとこちらは「ものすごく嫌な空気!」と感じてしまうのですよ。
どうしても
相手が不機嫌
↓
自分も落ち着かなくなる
↓
この空気を何とかしたい
↓
相手の機嫌を取る
↓
相手が戻れば自分も安心する
という循環が起きる。
対策として「相手の感情を感じないように距離をとること」しか浮かばなかった。それだけでも全然違う。
しかし、今思うのは相手の機嫌を感じても良いけれど背負わないこと。
「ああ、今すごく不機嫌なのが伝わってくるな」と感じる。「私、今ものすごく拾ってるな」という気づきもある。そのうえで、「でも、これは相手の感情だ」と自分のところに戻ってくる。
感じたからといって、私が何とかしなければならないわけではない。
「相手を放っておく」とは違う
「相手の感情は相手のもの」というのは、相手を無視することでも、冷たくすることでもありません。
たとえば、「何かあった?」と一度聞くことはできる。
「私はこういうつもりだったよ」と説明することもできる。
「さっきの言い方はきつかったね。ごめん」と謝ることもできる。
でも、相手の機嫌が直るまで、自分を犠牲にして付き合う必要はない。
ここが境界線なのだと思います。
相手の感情を尊重することと、相手の感情を自分が処理することは違う。
「相手を不機嫌にさせない私」から卒業する
過去の私は、「相手を不機嫌にさせない私」でいようとしていました。もしくは、誰かの機嫌を拾いたくないので、距離をとっていたり。
でも、それには限界があります。どんなに気を遣っても、人は不機嫌になることもあるし、自分とは関係ないことで不機嫌になることもある。
疲れていることもある。
仕事で嫌なことがあったのかもしれない。
自分の中の問題を抱えているのかもしれない。
それを全部こちらが調整することなんて、できません。
だから
「相手がどんな感情であろうとも、私は私でいられる私」
が重要なのだと思う。
相手が不機嫌でも、自分の機嫌まで差し出さない。
相手が怒っていても、必要以上に自分を責めない。
相手が不満を持っていても、「私が何とかしなきゃ」と走り出さない。
必要なコミュニケーションはする。
でも、それ以上は相手自身が自分の機嫌を取れることを信じるのです。
さいごに
学生時代までは、人との距離感も比較的自由で、どの人といるかも自分で選べました。
父親も家族なので面倒だと感じると放っておくこともできました。
ただ、仕事で関わらざるを得ない他人との状況になった時に、少しでも自分が心地よくいるためには、機嫌の悪さを未然に防ぐことが最善の策と思う傾向が強くなりました。
すると不思議なもので、どんどん日常にその意識が侵食しているのです。自分でも気づかないレベルで。
関係が遠い人相手ではなくて、近いけれど家族ほどではないような相手など。
無意識の習慣に気づく時には愕然としますが、気づいたらこっちのもの。
私の場合、ヒューマンデザインの「対立を避ける」という言葉は、単に争いが嫌いということではなく、相手の感情を浴びたくないから、そもそも不機嫌になる状況を未然に防ごうとすることなのかもしれない、とようやく腹落ちしました。
あなたはどうでしょう?
相手に感情をぶつけている?
それとも、相手の感情を受け取りすぎている?
私はこれから、相手の感情を感じてもすぐに「何とかしなきゃ」と動かないようにしたいと思っています。
感じてもいい。
でも、背負わない。
相手の機嫌は相手のもの。
私の機嫌は私のもの。
必要なコミュニケーションはする。
でも、それ以上は相手自身が自分の感情を扱えることを信じる。
そんな距離感を、これから少しずつ身につけていきたいと思います。

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