ヒューマンデザインの45-21チャネルを持っている人には、「リーダーシップ」「統率」というテーマがあります。
けれど、これは単なる支配や管理ではなく、“真の王の在り方”を学ぶプロセスなのでは?と私の視点から見えた姿をご紹介します。
「人を動かす」よりも「自分の世界を耕す」
リーダーシップという言葉には、いろんなイメージがあります。
人をまとめるリーダー、支援型のリーダー、強い統率者…。けれど、実際はその形も価値観も人それぞれで、「これが正解」というものはありません。
45−21を持つ私は、正直、リーダーシップという言葉に少し抵抗を感じていました。
最初に聞いた例が「ゴッドファーザー」だったせいもあって(笑)、なんだか重たくて怖いイメージ。
「そんなふうにはなりたくない」と、どこかで避けていた気がします。
でも振り返ると、中間管理職をしていた頃、ヒューマンデザインを学び始めたばかりで、
知らず知らずのうちに他人をコントロールしようとしていた時期がありました。
「私が言った通りにやればうまくいく」──そんな思い上がりがどこかにあったんです。なんて恥ずかしい。
けれど、違和感もありました。
私の望む世界や、作りたい会社の姿はそこにはなかった。
だから一度、手放しました。
世間の形にはまらないことを気にしながらも、自分の世界を整える方に意識を向けていったんです。
自分の居たい環境に正直になること。
小さくても、自分の王国を自分で運営できるようにすること。
それが、私なりの「統率」なのかもしれません。
未熟な王太子と、本物の王のちがい
45-21を見つめていて、ふと浮かんだのが「王太子」と「王」の違い。
異世界転生ものの物語にもよく出てくるあの対比。
王太子の立場で「自分は次期王だ」「自分の言葉に従え!」と、エゴや焦りが顔を出すことがあります。
現国王やライバルが偉大であればあるほど、その差に苦しみ、自分の価値を証明しようとする。
けれど、本物の王の器を持つ人は違う。
どんな状況でも笑い飛ばせる余裕があり、「大丈夫、私が責任を取るから」と言って挑戦させてくれる。その懐の深さは、自分の世界が整っているからこそ生まれるものなはず。
何をすべきで、何をすべきでないかを心得ている。
だからこそ、焦らず、他人を動かそうとしなくても自然と流れが整う。
それが、真のリーダーの在り方だと感じます。
人を動かそうとしなくても、自然と人が動く
真のリーダーは、力で周囲を動かそうとしません。
それでも、同じ志や思想を持つ人が自然と集まり、気づけば良い流れが生まれていく。
それは「力」ではなく「在り方」が人を動かしているから。
45-21は、“支配”ではなく“信頼”で世界を整える力。
自分の内側を整え、心に余白を持つこと。
その静けさの中に、真の統率力が宿るのだと思います。
だから、「リーダーシップ」や「統率」という言葉にとらわれすぎず、まずは自分が大切にしたい世界を耕していけばいい。
そこに共鳴する人たちは、自然と集まってくる。
好きなこと、興味があること、心が動くことを語りながら。
そうやって、自分の王国を穏やかに築いていけたらいいなと思っています。
45-21のまた別の切り口はこちら↓

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